「早馬さん」と地域の篤い信仰集める神社
安産祈願のパワースポット
早馬神社は、気仙沼市唐桑町にある倉稲魂命を主祭神に祀り、海上・交通安全、必勝、方災除けの御神徳があると云われています。
また神社を創建した梶原景實は、鎌倉時代の初代将軍・源頼朝公の妻・北条政子が身ごもった時に安産祈願を執り行い、後の2代将軍となる頼家公を出産した故実により、安産祈願のパワースポットとしても篤く信仰を集めています。
早馬神社の歴史
鎌倉時代に鎌倉を下向した梶原景實が創建
早馬神社は、鎌倉時代の1217年(建保5年)に梶原景實が創建したと伝えられています。
景實の弟は、義経の宿敵・梶原景時
梶原景實の弟は、鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝の側近である梶原景時。源義経との確執が有名で歌舞伎などで義経に対する悪役(大悪人)として描かれて いることの多い御家人です。
源頼朝公の没後、「梶原景時の変」により景時自身も幕府を追放され一族が滅亡。続いて、和田氏や畠山氏などの有力一族が滅んでいく世を憂い、景實は鎌倉を下向。蝦夷千島へと向かう途中に、気仙沼市唐桑町の石浜にたどり着いたとのこと。
梶原景實は、家の脇に源頼朝公、弟の景時、その子どもの景季の御影を祀り一族の冥福を祈る梶原神社を建て崇め祀ったとされています。
景時の子孫が移り住み奥宮を建立
1219年(建保7年)に梶原景時の三男・景茂の子である梶原景永が、鎌倉から下向し移り住むようになり神職となりました。
この時、早馬大権現別当として早馬山頂に奥宮となるお社を建立したとのことです。
慶長の大地震で里宮が流失
早馬神社は、かつては唐桑町石浜地区に鎮座していましたが、1611年(慶長16年)に起きた慶長三陸地震により大津波に襲われ里宮が流出。唐桑町明戸地区に再建されたあと、現在の場所である宿浦地区に遷座したとのこと。
2011年(平成23年)に起きた東日本大震災の大津波では、15mほどの高さがある境内まで津波が押し寄せ、本殿内部も2mほどまで浸水しました。
早馬神社 パワースポット情報
早馬神社 基本情報
- スポット名
- 早馬神社(はやまじんじゃ)
- 所在地
- 気仙沼市唐桑町宿浦75
- 主祭神
- 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
- 問い合わせ
- 電話:0226-32-2321
- 公式サイト
- 早馬神社/宮城県気仙沼市
- 公式Facebook
- 早馬神社からの手紙
早馬神社 アクセス情報
自動車
駐車場
無料駐車場あり。