松尾鉱山 | 岩手県八幡平市

松尾鉱山跡アパート群 「BlueWind~商用利用可のフリー写真素材」

松尾鉱山 | 東の軍艦島と称される廃墟スポット

松尾鉱山は、岩手県八幡平市(旧松尾村)にある廃鉱山とその居住区跡地です。

注意
※アパート群や中和施設内は、関係者以外の立ち入りが禁止されています。松尾鉱山周辺に足を運ぶ際は、節度ある行動をお願いします※

雲上の楽園とまで言われた当時の最先端シティ松尾鉱山の居住区

江戸時代から硫黄鉱山として知られていたが、大規模な開発が行われるようになった明治後期に、横浜の貿易会社増田屋の参画により本格的な採掘が始まったとのこと。

東洋一の硫黄鉱山として最盛期を向かえた1960年(昭和35年)には、1万人を越える人口を有する鉱山町となり、水洗トイレやセントラルヒーティングを備えた集団住宅をはじめ小・中学校、病院、会館などの娯楽施設が整備され「雲上の楽園」と呼ばれていました。

小学校の運動会風景
「小学校の運動会風景」
(画像引用:いわての文化情報大辞典)

高度経済成長期と反比例するように衰退……1972年に完全閉山

しかし、高度経済成長期になると硫黄の需要減と、海外から安い硫黄が輸入されるようになり、1960年代後半になると硫黄鉱石の需要はほとんどなくなってしまいます。
1969年(昭和44年)には、会社更正法を申請して倒産。黄鉄鉱を産出する新会社を設立するも、1972年には鉱業権を放棄して倒産し、完全に閉山しました。

引用元:「松尾鉱山、山の中の廃墟」「BlueWind~商用利用可のフリー写真素材」(http://blue-wind.net/)
引用元:「松尾鉱山、山の中の廃墟」
「BlueWind~商用利用可のフリー写真素材」(http://blue-wind.net/)
注意
※アパート群や中和施設内は、関係者以外の立ち入りが禁止されています。節度ある行動をお願いします※

写真集が発売され廃墟として注目を集める

閉山後は、木造の建物は焼却されたが、鉄筋コンクリートのアパート群や学校校舎などの建造物だけ残されました。

1990年(平成2年)に写真家の丸田祥三氏が松尾鉱山の廃墟群を写真集に収め、当時のニュース番組のイメージショットにも使われるなど反響を呼び、廃墟愛好家から「東の軍艦島」と称されることになります。

Googleストリートビューでも、松尾鉱山のアパート群の廃墟を見ることができます。

北上川が「死の川」に 松尾鉱山の鉱毒水問題

廃坑から流れ出る砒素を含むph2.2の強酸性の大量の排水が、北上川流域の水質汚染や生態系に悪影響を及ぼすことから、現在も中和施設が24時間体制で稼働を続けており、年間5億円を超える処理費用を岩手県が負担する事態となっています。

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注意
※アパート群や中和施設内は、関係者以外の立ち入りが禁止されています。節度ある行動をお願いします※

松尾鉱山周辺の観光スポット

○八幡平アスピーテライン
岩手県の八幡平御在所地区から秋田県のトロコ温泉まで縦断する景観の素晴らしいドライブウェイです。11月上旬から4月中旬までの冬季は通行止になり、4月の開通時には「雪の回廊」が楽しむことができます。

○八幡平市松尾鉱山資料館
松尾鉱山に関する資料を保存・展示する観光施設。松尾鉱山の歴史の他、開山当時の貴重な「雲上の楽園」の様子を知ることができます。

○八幡平ビジターセンター
八幡平の大自然について、ジオラマやハイビジョン映像などを用いて紹介する観光施設です。

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